2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧
一冊の本を書くというのは長期にわたる業病との戦いのようなもので、実にひどい、くたくたになる仕事なのである。どうにも抵抗のしようがない、自分でも正体がわからない悪魔にでもとりつかれないかぎり、こんな仕事に手を出そうとする人間はいないだろう。…
私たちは価値ある目的と無価値な目的との区別を手放さないようにしよう。この区別は目的を実現したいという願望がそのコストと見合うかどうかとは関係がない。私たちはこの区別によって、私の労苦の報酬が私にとってまさしく労苦するに値するものとただちに…
『生命の哲学−−有機体と自由』(Organismus und Freiheit)は全体像が描かれてないがゆえに、作品としては未完成のものではあったが、私の哲学にとってもっとも重要な作品であると私はみなしている。なぜならそれは新たな存在論の萌芽的な研究を展開している…
私の確信するところでは、したがって哲学的な主題に関して言えば、存在に関する理論はまたまさしく当為に関する理論を引き連れている。しかしながら果たして本当のところはどうなのだろう?存在のなんらかの客観的な認識、つまり恣意的な前提によって初めか…
私は世界を肯定することに喜びを覚える。その肯定の念は以前に「視覚の高貴さ」を主題とする、私にとって非常に重要な論文の中で打ち明けたことがある。世界に対する肯定の念を支えているのは次のような確信である。すなわち、存在が−−人生に影を落とす恐ろ…
ある意味で主観性は自然の表面現象であり、海面に浮かぶ巨大な氷山の一角であるのに応じて、それは沈黙する内部を代弁してもいる。あるいは次のように言ってもよい。果実は自分がそこから育った根や幹について何事かを漏らしている、と。主観性の存在は実効…
私がロレ〔妻〕と昔の話をしていると、あるとき彼女はこう言った。 「あなたの話はいつもあまりにもうまくいった話になっているわ。全部が全部幸福に丸く収まるんだから。だけど、現実には私とあなたの人生には難しいことがいっぱいあったし、不安だらけだっ…
自己は自身を顧みることなく対象に専心しなければならないのだが、その結果としてより高い自己(事実これも善それ自体である)を生成させるという点に、道徳の秘密、ないしは逆説がある。「私は自分自身に恥じるところがない者でありたい(あるいは神の前で…